現在の高石市の海浜部を歌った百人一首72番の歌
「音にきく高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ」
というのを歌った人で平安時代院政期の女流歌人である。
【通釈】有磯海の浦風も名高いけれど、高師の浦のあだ波も評判ですよね。あなたの浮気っぽさも知らない人はいませんよ。そんなあだ波にかかりたくありません。(涙で)袖が濡れてしまいますから。
という女性がプレイボーイに対して送った歌です。
歌からはその昔高師の浜が京まで噂で届くほど美しい白浜だったことが伺えます。
そんな歴史ある場所を地域の人に知ってもらい、後生に残して行きたいものです。
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい=一宮紀伊 いちのみやきい 11世紀後半)
平経方(たいらのつねかた)の娘で、藤原重経(しげつね)の妻(妹という説も)。母親は後朱雀天皇の第一皇女・祐子内親王に仕えた小弁(こべん)で、紀伊自らも祐子内親王家に仕えました。紀伊の名前は、藤原重経が紀伊守だったところからきています。
高師浜は当時はとてもすばらしい白砂青松の景勝地として知られておりましたが、明治時代、その松を薪や材木として伐採が進んでいました。
そこに現れた救世主・大久保利通が
「音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり 」
を詠み伐採中止を命じた。(祐子内親王家紀伊の歌取り)
そして今の浜寺公園が出来たとされています。
なお、松のあった場所には惜松碑という碑が建てられています。
「音にきく高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ」
というのを歌った人で平安時代院政期の女流歌人である。
【通釈】有磯海の浦風も名高いけれど、高師の浦のあだ波も評判ですよね。あなたの浮気っぽさも知らない人はいませんよ。そんなあだ波にかかりたくありません。(涙で)袖が濡れてしまいますから。
という女性がプレイボーイに対して送った歌です。
歌からはその昔高師の浜が京まで噂で届くほど美しい白浜だったことが伺えます。
そんな歴史ある場所を地域の人に知ってもらい、後生に残して行きたいものです。
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい=一宮紀伊 いちのみやきい 11世紀後半)
平経方(たいらのつねかた)の娘で、藤原重経(しげつね)の妻(妹という説も)。母親は後朱雀天皇の第一皇女・祐子内親王に仕えた小弁(こべん)で、紀伊自らも祐子内親王家に仕えました。紀伊の名前は、藤原重経が紀伊守だったところからきています。
高師浜は当時はとてもすばらしい白砂青松の景勝地として知られておりましたが、明治時代、その松を薪や材木として伐採が進んでいました。
そこに現れた救世主・大久保利通が
「音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり 」
を詠み伐採中止を命じた。(祐子内親王家紀伊の歌取り)
そして今の浜寺公園が出来たとされています。
なお、松のあった場所には惜松碑という碑が建てられています。
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